2023年5月29日月曜日

日本はオワコン?海外移住に関する考察

どうやら昨今このテーマ盛り上がっているようですね。

まぁ日本がオワコンかどうかについては議論が盛り上がっているようですし、いろんな考え方があると思うので私がここで議論することはせず、海外に移住するということがどういうことなのか、特にカナダへの移住に関して当事者として色々考察したいと思います。

1.他国の移民になるということがどういうことなのか。
まずはこれを理解しないと始まらないわけですが。。
カナダはわかりやすい移民国家ですし、アメリカと違って現在進行形で移民をガンガン受け入れしています。移民に頼らないと経済が回らない国です。
それだけを聞けば移民しやすそうだな~となんとなく感じるのではないですか?
それはまぁ間違いではなくて、アメリカのようにもう移民は欲しくないんじゃー!という国に比べたら移民=永住権を取得するための窓は比較的大きいのは事実だと思います。

ただし、あくまで比較したら、の話であって、決して簡単に移民できるという意味ではないです。なぜかって?国も欲しい人材を選ぶからです。

例えば日本を例にして考えてみましょう。
これからどんどん移民が入ってくるとして、国として必要な人材って?
例えばとても優秀な研究者とか、経済をうまく回してくれそうな高学歴で素晴らしい経歴をもった歳をとりすぎていない若者、日本人が働きたがらないような仕事に率先して従事してくれる人材、若くて優秀なカップルでこれから日本で子供も産んで優秀な人口を増やしてくれそうな人たち、などなど。

逆に欲しくない人って端的に言ってしまえば国に貢献することなく公的支援を使うことになるような人材ですよ。
日本語出来なくても就職先があるほど何かに秀でているわけでもなく、それなのに日本語の能力も低く、年齢が若いわけでもなく、そのうえでじゃあ日本人がやりたがらない仕事に就くかといえばそれも嫌がり、最終的には生活保護を受けて税金を搾取するような人です。
さらには健康状態が良くなくて、公的医療費の恩恵を受ける人。
そんな人移民に取ったって公的負担が増えるだけで国にとって何のメリットもないのはわかりますよね?

国にとって移民として受け入れるメリットが大きい人間でなければ受け入れる意味がないわけで。それってつまり自分がそういう人間だよ!国に貢献するよ!ということが証明できなければ移住はできないということです。

ある日思い立って、「よし、海外移住しよう」で簡単にできるほど甘い話ではないです。

その勢いで大した下準備もせずワーホリ使って突っ込んでくる子たち最近よく見ますが、ワーホリもその国には人生で1度しか使えないチャンスなうえ、移民を目指す際1年のオープンワークパーミットはものすごく大きな武器になる可能性があるのにそれを無駄にしてしまっているのがもったいないなぁと老婆心ながら感じています。

これだけははっきり言えるけど、まずは最低限、接客の仕事が普通にこなせる程度の英語力がなければ話になりません。
バンクーバーみたいに日本人の移民も多くて、日本人がやっているビジネスがたくさんある土地はちょっと特殊なので運が良ければ英語できなくても一応働くことくらいは出来ると思いますが、それはあくまで限られた地域のみの話で。カナダは広いで~
もしくは本当に仕事を選ばず、どんな仕事でも働かせてもらえるなら頑張りますくらいの根性座ってる人なら英語できなくても何とかなるかもしれませんが、、本当に苦労しますよ。


2、自分の人材としての価値を考えてみる
1の内容につながるけど、じゃあ移民しようと思ったときに今の自分の有用な人材としての価値を考えてみるといいです。
例えばあんまり英語に自信なかったとしても、日本で培った技術や腕が活かせる人材。美容師とか庭師とか。これは強いです。特にアジア人の多い地域では日本人の高い技術は需要が高いので移民をサポートしてくれる会社も探しやすいのではと思います。

またはカナダで人手不足と言われている分野の資格を取得してでも移民を目指そうと思えるかどうか。
例えば保育士、看護師、介護士あたりは常に人手不足が叫ばれているし、積極的に移民を受け入れている分野。ただし資格が必要なのでがっつり学校に通って英語もできるようになって、資格を取得しなくちゃいけない。

それもだめなら「日本語や日本文化理解が必要になる」仕事に就くか。
例えば旅行会社であれば、お客さんは日本人の為仕事上で日本語がどうしても必要になる。
日本食のレストランであれば、日本の食文化の理解が必要になる。
日本人であることそれ自体がメリットになる業界に勤めるということです。
ただね、これに関しては選り好みしている人が多い印象。どうしてかって旅行関係だとどうしても日本企業の海外支社で働く形になるケースが多いし、レストランとかでも日本人オーナーの考え方ややり方によってはどうしても日本の働き方をひっぱる形になるところが多いので、カナダ人の働き方に比べるとどうしても多少過剰に働いている、悪い言い方をするとこき使われる印象があるからですね。

でもねーーーーー
ちょっときついこと言うかもだけどね、もしも貴方がカナダ人と仕事を取り合えるほど満足に英語ができるわけでもなくて、なにか卓越した技術や技能があるわけでもなくて、カナダでも通用する資格を持っているわけでもなくて、使える武器が日本語しかないのに日系企業は嫌だっていうのは単なるわがままではないのかなぁと思ってしまう。
その状態だと先の1で述べた内容を鑑みると日本人であることを武器に使わない限り国にとっては欲しい人材ではないわけですよ。
そうね、日系企業が働き方改革してくれればそれが一番いいのだろうけど、それってそんな簡単なことじゃないのはわかるよね?日本、もう何十年も変わってないよね、、

もっと極端なこと言えば、英語できないのに日本人っていうだけで雇ってくれる企業があるのであればまだその地域は恵まれている方で、そんな企業や会社、レストランがない(または極端に少ない)地域も当然あるわけで。

自分が人材として魅力的ではないうちは、忍耐や苦労は必須事項で、それをしないと絶対に移民にはつながらないと断言できます。

3、キャリアを考える
日本ではそれなりにキャリアを築けていた、それなりに稼げていたのに移住したらそれがゼロにリセットされてしまってまた一からキャリア形成しなければならないのが辛い云々という話を耳にしたわけですが。それに対する私の考察。

「それなり」のキャリアだったのであれば移住したら評価されにくいのは当然では?
そのそれなりはどういうそれなりなのか、ですよね。例えば勤続10年働いていたからそれなりの給料をもらっていた。これは転職すればリセットされるのは当たり前。経験としては長いかもしれないけれど、その経験を売り込めるほどの実績を目に見える形で示すことができないのであれば他社にその「それなり」を評価することは難しい。
日本でのキャリアが本当にすごい人はこちらに来てもそれなりに活躍できていると思う。建築家、アニメーター、IT技術者、映像加工、シェフ、美容師、庭師、などなど、今職種を上げているだけでこちらで活躍されていらっしゃる日本人のその分野の人の顔が浮かぶ。
自分でビジネスを立ち上げたりフリーランスで活躍する人も少なくないと思う。

それができない程度の「それなり」のキャリアしかないのであれば、残念だけどそれはやっぱり中途半端だし、それでも英語さえできればこちらでそのキャリアを継続していける可能性はないわけではないけど、そのためにはかなりごり押しで自分を売り込んでいく根性と根気がいる。日本人が一番苦手なネットワーキングやコネを最大限利用していくくらいの前のめりな姿勢がなければまず無理でしょう。
少なくとも、「私は日本ではあんなに評価されていたのにこんな底辺の仕事しかできないなんて」というような考え方するプライドの高いタイプの人には受け入れるのが難しい真実ではないのかなぁ。
どんな経験や仕事もいつか自分の血肉になると考えられないと。
これは私は本当に真理だと思っていて、無駄になる経験なんて何一つないと思う。
たとえカナダに来て最初に就けた仕事がディッシュウォーシャーやサーバーだったとしたって、そこで学べることってものすごくたくさんあるよね。英語もそうだし、そこで暮らす人の考え方とか働き方の違いとか制度の違いなどなど。

別に自分の苦労自慢をしたいわけではないのでそこは断っておきたいんですが、私の場合もカナダ上陸時はキャリアが中途半端だったので結構苦労しました。
ただ私は英語はオフィスの仕事ができる程度には話せていましたけど。(詳細は過去の記事参照)

私の場合は英語という武器があったとしても、海外の文化に対する理解が全然甘かったので英語社会での立ち振る舞い方とか、カナダのオフィスで働くことがどういうことかとか全然見えてなかったんですよね。
私結構自分を売り込むのは得意で、面接ではったりかましたりも結構できちゃうタイプなんですが、さすがにカナダの会社の常識がわからなすぎてどうやって売り込んでいったらいいかもわからなかった。
最初はとにかくタダでも構わないのでインターンシップで現地の企業に入り込んで仕事を手伝ってみたりしてましたね。。。で苦労の末見つけたのが日系の留学コンサル企業(超ブラック)。
留学コンサルとしての経験はゼロだったのでこのブラック企業じゃなければ雇ってもらえませんでした。ほかにも何社か面接行ったけどね。ブラックだからいつも求人してた😓
ここでどれだけこき使われたかとかどんだけ悔し涙流したかとか語るのは避けますが、少なくともここで頑張って勝ち取った永住権とキャリアで私はカナダ企業に転職することができた。

その後はコネで転職したり、さらにそのあとは自分でビジネス立ち上げたわけだけど。。

ちょっと夢のあることを語れるとしたら、日本に比べたらカナダはまだまだビジネスチャンスが転がっていると思うので、あなたもビジネスオーナーになれるチャンス!があるかもと思います。私がカナダに移住しようと思った理由の一つはそれでした。

ビジネスやってると「すごいですね」とか言われるんですが、私は決して自分をすごいと思ったことはないです。
正直ビジネスを立ち上げることは誰にでもできるんですよ。続けていくことは難しいしそれは別の話だとは思うけど、そもそも私のビジネスはまだまだ全然儲かっていないし、続けられているんだからすごいと言ってくれる人もいるけど、私自身は全然成功しているとはかけらも思っていないんだよなぁ。。。
私よりうちのスタッフの方が全然儲けているような状態なんで寧ろほぼ無給で馬車馬のように働いていて私の方が負け組なのではと思ったりもするよ😓

でも日本は本当にみんな勤勉で思いつく限りのビジネスは存在していると思うんだけど、カナダはまだまだ不便がいっぱいで、新しいビジネスが入り込む余地はものすごくたくさんあると思う。もちろん大変だし、少なくとも最初のうちはものすごく自分を犠牲にしてあほみたいに働かないとビジネスなんてうまくいかないけど、それでも成功できる余地があるのは希望じゃないかなぁなんて。私は日本にいたころも起業したかったけどとても入れる余地がないと感じていたから余計にそう思うのかもしれないけれど。


まとめ

ながながと書いてきたけれど、何が言いたいかって海外に移住することって簡単じゃないよって。苦労も搾取もあるある。
搾取されるかもしれなくても、その国の文化や言葉をある程度理解できてそれなりのキャリア形成をできるまでは日本企業や先輩日本人のビジネスに助けてもらえる環境に身を置くのが一番近道かもしれないなぁと正直思います。
まぁそういう現状があるからこそ搾取があるんだろうとは思うし、決してそれを肯定しているわけでもないけど、やっぱり厳しいと思うもん。
それがどうしても嫌ならがっつり学校に通って硬い資格を取得する事でカナダで通用する使える人材であることを証明するしかないと思う。

自分に置き換えて考えてももし私が最初から日本人なんかいない地方都市に行って、カナダ人に比べたらそこそこの英語力しかなくてカナダの企業で働いたことなくてオフィスワークに就けたかなぁと考えたら正直無理だと思う。そう思うくらいあの頃はカナダのオフィスで働くという現実を全く分かっていなかったなぁと思うし。
それでとりあえず生きていくためにレストランとかで働いて、でもそこからオフィス系の仕事にどうやってつなげていいかわからなくて結局ずっとそういう働き方して自己肯定感さがって、「こんなはずじゃなかった」となる図が結構はっきり見える。
少なくとも、あくまで私は、だけど、ブラック企業だったとしても日系企業で働いて、こちらの会社の人たちと職務上やり取りしながらこちらの仕事文化をまなんで、日系企業だったからこそ仕事上で活躍もできて、会社にも必要としてもらって自己肯定感も上がって、前向きに移住して生きていくことを考えることができた。
今の私なら正直カナダのどこに引っ越しても仕事を見つけられる自信があるし、何しても生きていけるだろうと思える。

私からできるアドバイスがあるとすれば、移住したいのであればその辺のことまでしっかり考えてきちんと計画を立ててこないと難しいよ、ということかなぁ。
日本人が誰もいないような地方都市の方がよくても、英語に自信がないならある程度キャリアができるまでは日本人が多いある程度の都市部に来た方がいいと思う。

海外移住は夢物語では決してないからいいところも悪いところももちろんあるよ。
でも少なくとも私は日本ではできなかった経験(起業)をして、今頑張ってカナダで生きてる。それをさせてくれたカナダに感謝をしているし、かわらず日本という国も大好きなまま。日本人であることを誇りに思いながら、カナダに日本を紹介できる仕事をしていることも誇りに思っています。

人生は一度きり。
難しいからという理由であきらめずにチャレンジしてみてほしいなぁと思います。
うん。私は応援する。



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2023年5月22日月曜日

コンサバvsリベラル カルガリー訪問


ちょっと思い立って弾丸でカルガリーへ行ってきました。
というのも義両親がカルガリーに住んでいるからなんですが。

いい感じに離れた距離に住んでいるのでそうそう会うこともないんですが、最後に会ったのは3年前の夏。実は私が昨年実父を突然の心筋梗塞で亡くしていて、旦那の両親は私の両親よりも3歳くらい若いことは若いんですがそれでもいい年齢。いつ何があってもおかしくないので彼のお母さんから「元気にしてるの?」といったメッセージをもらったことをきっかけに、本格的に夏に突入するともう私のスケジュールがカオスすぎてとてもじゃないけど遠出している時間を確保できそうになかったので思い付きで行ってきました。

思い立った時点でその翌週の休みで行くという急な計画だったんですが、フライトの予約をウェストジェットで済ませてすぐウェストジェットがストライキに入るかも。。。というニュースを聞いて多少ハラハラしましたが無事に行って帰ってこれたw 何故かこういう運強いんですよね。。。w

3年前に訪れたときはもうCOVID真っ最中で、そんな中なんで行ったかって旦那のお父さんが仕事中に梯子から落ちて頭打ったし肋骨何本もいっちゃって入院したって聞いたから慌てて会いに行ったんですわ。でもそんな状況下だったから飛行機は使いたくなくて車で、、うちの旦那運転できないので片道10時間の道のりを一人で運転して(この時で2回目の車でのカルガリー訪問)。
意外といけるんですけど、でもやっぱり10時間の運転は疲れる💦往復だと20時間。。
特に帰りのカムループスこえたあたりからずっと続く下り坂の山道が、くねくねのワインディングロードなのに制限速度が140km/hとかでみんな結構飛ばすので2時間くらい緊張しっぱなしの運転でHopeのへんまで抜けるまでどっと疲れました。

というわけで次こそは飛行機にしようとその時決めてたわけですが。
実は金額的にも多分そんなに違いないです。今回の飛行機代は二人分で多分$360くらい?今ガスが高いんで車で行っても片道2回は給油が必要だし多分$250前後ガス代かかっちゃうんじゃないかなぁ?マイル使って飛行機予約したんで実質払ったのは$200行かなかったのでストにもかからなかったし結果オーライ👍

今回は2泊3日の訪問、義両親に顔を見せるためだったので特に何の予定も組まず、どこにも行かず、まったり義両親の家で過ごしました。

旦那とは現在11年くらい一緒にいますが義実家訪問は今回で3回目かな?
















アルバータ北部の山火事の煙がめっちゃ流れてきていたので空の色はどんより。

バンクーバーだったら軽く数億はくだらないだろうおっきなおうちです。5ベッドルームかな?下の階にシアタールームがあってステレオシステムが窓がビリビリいうくらいのバスがきいた音響でトップガンマーベリックみんなで見たり。






まったりお話タイム。









今回のアルバータ訪問でなんか色々思うところがありました。
私も在加期間が10年を超えて、以前はわからなかったことがいろいろわかるようになってきたし、英語でのコミュニケーションの意味でももう少し踏み込めたことが大きいかな?
最初に義実家訪問した時はまだ結婚もしていなかったし私もまだ比較的カナダに来たばかりで英語力も文化理解も弱かった。3年前はお義父さんケガでだいぶ弱っていたし、結婚してから初めての訪問だったので他の親戚の方たちの訪問とかもあってバタバタしていてそんなにゆっくり義両親と話さなかったから(しかもその時はホテルとってホテル宿泊だった)気づかなかったのかな。

アルバータはカナダの州の中でも保守的でコンサバだといわれるけど本当にそうだなとものすごく実感することがいっぱいあった。あと、なぜ旦那が旦那なのかたるゆえんもはっきりくっきり😓

カナダに来てから12年ほど、仕事でいろんな場所へは行ったけど住んだのはバンクーバーのみ。でもやっぱりバンクーバーって移民が生活するのには本当に恵まれた土地なんだなぁと変に実感したり。そのありがたみに気づいていなかったなぁ、なんて思ったり。

旦那の両親見てると、本当にいろんな意味でコンサバで保守的、新しいものに挑戦しようとかそういうマインドがないんだよなぁと。テクノロジーとかに関しては生活も便利になるしそうでもないんだけど食に関してはそれはもう如実に。そしてそれは旦那も本当にそうで。

毎日の食事も本当に簡単で質素なもの、日本人が見たら本当にびっくりするような。
でも簡単で質素というと日本の農家さんの慎ましい食事とか想像してしまいそうだけどそういうのではなくて、もう市販のミックスとか缶詰とか使いまくりの、ジャンクよりな。。

本当に教科書通りのメインとサイドのみの夕食。1日目バーガーとポテトサラダ、2日目ポークローストとマッシュポテト。バーガーはパティは冷凍食品、缶詰のマッシュルーム、玉ねぎとトマト。ポテトサラダはゆでておいた丸まんまのジャガイモとゆで卵を切ってマヨなどで和えただけ。ポークローストは朝からスロークッカーに肉塊とキャンベルのクリームマッシュルーム缶、チーズウィズ(瓶詰のチーズ風味ディップ)を入れてほっといただけ、芋だけゆでてマッシュポテトに。
どちらも多分準備に30分かかってないんじゃ。。
更に驚いたのはあとで旦那に子供のころ実家にいたときはいつもあのような夕食だったのかと聞いてみたら「日曜のビッグディナーはあんなかんじだった」と。ビッグディナー👀


















別に文句を言っているわけではないのだけれど、単純にびっくりした、という。
うちの実家は父がのんべーだったこともあってつまみを欲しがったので、母はいつも必ず2、3品のおかずを用意していたし、和食に関しては市販のミックスのような既製品を使うことはまずなかった。鰹節から丁寧にだしを取って、冷凍の野菜などは一切使わず、新鮮な食材から旬のものを買ってきては丁寧に食事を作ってくれた。しかも仕事もしていたので仕事から帰ってきてから毎日。母は洋食はそこまで得意ではなかったのでグラタンとかはグラタンミックスとか使っていたけど、私が料理できるぐらいの年齢になったらホワイトソースなんて簡単に作れるので洋食は私が担当するようになった。

バンクーバーにいると、この土地は本当にリベラルな人が多くて、そして土地柄とても移民も多いのでいろんな文化がまじりあっているからなのか、本当にアダプティブな人が多くて、みんな違う文化のものもとても受け入れあっていると思う。バンクーバーで寿司を食べたことがないという人に会ったことがないし、特にファーマーズマーケットなんかにいるとみんな健康に気を使っていい野菜を買って、違う文化のものでもいい調味料を試して(塩こうじとかね)いちから料理をする人がいっぱいいる印象がある。カナダの人でも味噌汁を作ってみたとか、家でラーメンを作ってみたいとか、そういう「挑戦」をする人の話を本当によく聞く。うちのグローサリーの方のお店にも本当にたくさんの白人の方たちがお米や味噌や醤油、みりんなど買いに来る。

もちろんスーパーに行けばバンクーバーでもそういう出来合いのミックスとか売ってるんだから買ってる人がいるわけで、みんながそうというわけじゃないだろうし、単純に私の周りにいないだけなのかもしれないけど。
飲食の仕事をしているんだから食に気が使う人が周りに多いのは当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど、前職の知り合いとかも含めて考えてもこういう食生活をしている人は正直思い浮かばない。

衝撃だったのは、味噌汁をわかってもらえなかった、どころか味噌すら知らなかった事。わたし、カナダに来て初めて味噌を知らないという人に出会ったかも。。。
バンクーバーではみんな寿司食べるし、すし屋に行けば味噌汁は当たり前に出てくるので知らないという人に出会ったことがなかった。初めて味噌って何なのかを説明した😅

新しいものに挑戦しようという気持ちは全くないんだろうなぁ。というか周りにもそれをしてみようと誘う人もいない感じ。みんなSame Old Same Oldで変わらない日々を暮らしていく。うちの旦那も特に食事に関して新しいものは全く挑戦したがらない。好物はバーガー。ピザ。野菜は芋以外ほとんど食べたがらない。

旦那の両親がたまたまそうなのかとも思ったけど、私の周りの旦那がアルバータ出身の友人もみんな口をそろえて「全く一緒!!!」と言っていて、そういう事でもなさそうだし、街へ出てもおそらくダウンタウンはちょっと別だろうけどいろんな文化のレストランって本当にあんまり見ない。数がとても少ない。あってもEdo Japanみたいなひどすぎるクオリティのすしチェーン。。。
以前の仕事で出張でカルガリーに来た際も、夕食にアジア飯食べたくても本当に見つけられなくて仕方なくSwiss Chaletに行ったこともあった。
良い悪い、っていう話じゃなくて、マインドセットの話。私には無理だなぁと。
改めて私はカルガリーには住めないわと今回の訪問でものすごく体感した。

もちろん少しずつ移民も増えていっているし、若い世代には挑戦できる人たちも増えているのかなぁとは思うので変わっていくところなのかもしれない。アジアスーパーのT&Tも以前は2件しかなかったのが4件に増えていたので需要も少しずつ上がっているのかも。
だけど土地に根づくそういうマインドセットってそうそう大胆に変わるものでもないと思う。田舎だし、人は優しいと思うんだけど、でも実際住んでみたら「あそこの奥さんは日本人で何考えてるかよくわからない」みたいなことを心の奥底では考えてる人もいそうだとか邪推しちゃう。というか旦那の両親も私に対して本当はそう思っているかも💧


旦那の兄の元奥さんが変な人で、ノーマスクのデモだとか所謂陰謀論とかにはまっちゃって一線で活動してるみたいな話もあって。アメリカで言うと南部地域みたいな労働者階級の州だって言われるからそういうマインドの人も少なくないんだろうなぁとか思ったり。

移民が多い場所に暮らすというのはやっぱり自分も移民という立場を考えるとメリットしかないと私は思う。もちろん、短期滞在の人にしてみたらデメリットもあるだろうこともわかるけれど、バンクーバーってそういう意味で本当に多様性をものすごく大事にしていて、器の広いとてもエキサイティングな文化が出来上がった土地だなと改めて思った。

そもそも海外に出てきている以上、今カナダにいる日本人って保守的な人は少ないのじゃないかなと思うのだけど。日本がなんでも刺激的すぎるからバンクーバー(やトロントみたいな大都市)でもつまらないって感じるのはとてもよくわかるけど、たぶんその他の田舎の土地に行ったらそれはもっとそうなんじゃないか、、と。
私はバンクーバーの、いろんな文化のいろんなおいしいものとか習慣とかお祝いとか経験できる文化がとても気に入っています。

もちろんアルバータにはアルバータの良さがあると思うし、そこの方が合う人もいるだろうとは思います。(税金の負担もアルバータの方が低いし。州が原油のおかげで裕福なので)
ただの私の個人的な考察ですが。
改めてバンクーバー好きだなぁと思った出来事でした。



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Bakery Tradeshow 2023

 今日はバンクーバーで4年ぶりらしい?ベーカリー業界のトレードショーがあったので見に行ってきました。
場所はバンクーバーコンベンションセンター、ダウンタウンのウォーターサイド、カナダプレイスのすぐ横です。






なんか恐竜展みたいなのもやってて親子連れで結構賑わってました。会場がわからずしばらくウロウロ行ったり来たりしてしまった😅

受付を済ませて、入場パスを貰っていざ参戦。

















なんか思ってたよりしょぼ。。。ごにょごにょ
いやいや気を取り直して。一つでも収穫があれば良いんだ!うん。



こういういかにもな機械扱っている会社もいくつか来てた。
導入できれば楽なんだけどね、、特に分配と丸めまで自動でやってくれるやつ。
しかし機械そのものがでかすぎるし、使用電力も大きいのでうちみたいな小さいリテイルベーカリーには夢のまた夢、、、工場持ってるようなベーカリーならいいんでしょうけどね。。
機械のクオリティもやっぱり日本の方が繊細だし小型でいろいろあって魅力的に思える。かといって輸入するのも大変だからあまり現実的ではないのだけれど。

話は少しずれるけど、やっぱり日本のベーカリー機器って優秀なんですよね。
当たり前っていえば当たり前なんだけど、日本のパンにあった使い方ができるように作られているから、ドウコン(ドウコントローラー)一つとっても冷凍生地をセットしておけば解答から発酵まで全部オートでやってくれるような優秀ぶり。
当然そんな機械はこちらでは手に入らず、、なんなら発酵機ですらHot Holding(料理なんかをあったかいままキープしておく機械)と兼用になってるようなお粗末なものしかなくて、一応便宜上温度と湿度はコントロールできるようになっているけど湿度なんて下の方にあるトレイに水を張ってそれをちょっとずつ蒸発させているだけというなんともいい加減なもので、上の方なんて全然乾燥するし、発酵機としては本当に使えない。
定期的に人間の手で霧吹きなどしてあげないといけないレベル。
海外でベーカリーをやるって、こういう不便さとの戦いの部分も大きいです。

結局何件かのパッケージングの会社と連絡先は交換したけど、私が住むあたりでは(わかってはいたけど)ベーキング用商材の卸はSnow Capが一番強くて、ディストリビューターとしても一番幅をきかしているので、すでに取引をしているうちにしてみればあまり新しい発見はなかったかな。。うちの営業担当も現場にいたのでちょっと雑談してきただけ、って感じ。

政府の小規模フードビジネス支援のNPOの人たちも来ていて、その団体の存在を知ることができたことがひょっとしたら一番の収穫だったかもしれないな。。
まぁいい経験にはなりました。

多分次はいかないかなw



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2023年5月14日日曜日

パン屋さんになるまでの話 その3

2017年の暮れにバンクーバーファーマーズマーケットから届いたお知らせ。
それは1月に行われるイベントに参加してみないか、というお誘いだった。

簡単に要約すると、冬はファーマーズマーケットも閑散期であり、特に12月のクリスマスシーズンで散財しまくるこちらの経済状況を鑑みると、1月は特にお客さんの財布の紐も硬くなりがちで、1月は1年の中でも最も集客に苦労する月。
そのため、少しでもお客さんを呼び込むための新規企画として、New Vendor Boot Campを行うと。何かって普通に新しいベンダーとして招き入れるにはあとちょっと何か足りない、惜しい、というベンダーを新規申込者の中から10ベンダー選び、1月と2月のファーマーズマーケットに実際に出店、お客さんに人気投票をしてもらい、ランキングトップ3に入ったベンダーは新規ベンダーとして加入が許され、更に夏のマーケットで一番人気が高くて一番歴史の古いマーケットであるトラウトレイクのマーケットに月に一回のスポットを約束されるという賞品付き。
本来トラウトレイク(とウェストエンド、キツラノも)はたくさんある夏のファーマーズマーケットスポットの中でもとにかく客の入りが多く、ベンダーに大人気のスポットであるため、通常新規のベンダーは全くスポットをもらうことができない。まずはキャンセルスポット待ちから始めなければいけないほどスポットをもらうのが難しいマーケット。

いやぁそりゃもう飛びついたよね。
とにもかくにも売らない事にはビジネスを知ってもらえないわけで。
コンペティションに勝とうが負けようが、まずはその時の状況の私のビジネスは出るだけでも価値があることは明らか。いやもちろん出すからには勝つ気で参加するんだけど。
慌ててテントとかテーブルとかテーブルクロスとか商品用のパッケージ、テントにつけるお店の顔になるバナーをデザインして発注したり。(これは今もこの時のやつを使ってる)















この写真はガチでこのブートキャンプに参加した時の私のブース。
シフォンケーキとか、のちのうちのお店の看板メニューになる動物パン、ミルクジャムもこんなに初期から作ってたのか。。自分でも覚えてない、、
箱の中身なんだろうな、、クッキーとかかなぁ多分w
あとは野菜のピューレを練りこんだミニローフとか持って行ってますね。






この2枚目はまた別の日だけどこれもブートキャンプ参加中。
右の方に”Please Vote”の看板出してるし。
ていうかこの時のお隣が今でも仲良くしてくれているベンダー仲間のカナダ人おじいちゃんなことに気づいて驚愕した。こんな初期から仲良くしてくれていたんだなぁ。
もう5年+の付き合いになるとか。。信じられん😅
彼は手作りのケールチップスとかビーガンチーズとかクラッカーとか販売している陽気なおじいちゃんです。ケールチップス普通においしいのでオススメ。

ファーマーズマーケットに出してみてまず実感したのは、日本のパンに飢えている日本人の多さ!意外とファーマーズマーケットに通っている日本人の方は少なくなくて、そういう方たちから如何に日本のパンが恋しかったか、というお話をよく耳にした。
私はもともとパン派ではなくて、口の中の水分持っていかれる食品が苦手なので、断然ご飯の方が好きな人だったからそれでパン屋経営してるとかw パンに飢えている人がいることに全く気付いていなかったのでこれはなかなかの衝撃でした。そこに需要があるのね、と。

右も左もわからない中、とにかく思いつく限りの売れそうな商品を時間が許す限り作ってマーケットに参加。当時はまだピアノ屋さんのアドミンをフルタイムで続けていたので、月~木は普通に9時~17時で仕事をして、終わったらキッチンへ直行、深夜までできる準備をして帰って寝る。金曜は仕事の後キッチンに行ったらそのまま朝まで焼いて、全部車に乗せて徹夜のまま土曜のマーケットに向かい、設営、販売、撤収をして全部終わった後午後に家に帰ってようやく泥のように眠るという無茶をしてました。

頑張った甲斐があって、コンテストは見事2位に入賞!
無事ファーマーズマーケットベンダーの仲間入りを果たし、そのままマーケットに参加していけることに。👏👏👏

マーケットに出したとき商品は全部事前に個包装して持っていたのだけど、ファーマーズマーケットのお客さんからのコンテストのアンケートで、個別包装の環境への配慮の懸念を指摘されてしまった。
何にも予備知識なく参加したので仕方ないといえば仕方ないのだけど、確かにほかに参加しているベーカリーとか、みんな裸で陳列して、紙袋に入れて渡している。。
特にバンクーバーのファーマーズマーケットに足しげく通っている人たちって環境とかにも配慮したい人が多い。ビーガンの人も結構多い。

というわけで陳列の仕方を変えなくてはいけなくなった。
でも裸で陳列するためには保健所のルールでスニーズガードといって直訳するとくしゃみガードw商品とお客さんの間に唾とかの飛沫が飛ばないようにするためのガードを設置しないといけない。
色々調べて、下の画像見つけてまだライブラリに保存してあったw
これがいい、これを作ろう!と。





ただ工具とか何にも持ってないわけですよ。
色々調べても日本のホームセンターにあるようなDIYコーナーみたいのもないし。
それをビジネスでやってるとこも見つけたけど使用料で工具買えるわ!ってくらい高いし。
ホームセンターで木材を買うと切り分けてくれるサービスはあるものの、そもそもそれって売ってる木材があほみたいに大きいのしかないので車に乗るように大まかに切り分けてくれるという程度のサービスで、よくよく聞いたら斜めに切る、みたいなデザインカットはできないといわれ、、、
もう仕方なく工具買って自分でやったよね。電動の丸ノコとか(あのじゅいーーーーんってめっちゃ大きな音する電動のこぎり)、普通ののこぎりも、アルミとか切るためのノコギリとかも。。
やれる場所もないからうちのアパートの地下駐車場の自分の車用スペースで車を少し前に出して後ろにスペース作って、っていう。。
日本でも父の仕事がそもそもそっち系だったし日曜大工のようなことも多少やっていたけど、日本っていろんなサイズの木材がプリカットされて売っていたりするから、さすがに自分で丸ノコ使ったことはなかったw 父は持っていたから実家にはあったけど。

仕上がったのがコレ。





このままのサイズだとうちの車には乗らないので、一応分解できるように作って。
結構頑張りましたよねw自分で言うのもあれだけど。。w
何が言いたいかって、経営してるとほんとに何でも自分でできないと、困ることたくさんあります。。このディスプレイづくりはそのジャーニーのまだまだ序の口だったと後で知ることになる、と。w


この頃のマーケットラインナップを撮影したビデオも出てきました。
これはホットクロスバンを売ってるんで多分3月ころのマーケットですね~。




 まぁこうしてかなでるは一応パン屋さんとしての道を歩き始めました。
まだしばらくは、実店舗のない、基本的にはオンラインとイベントやマーケットでの参加でのみ販売するパン屋さんです。

借りていたキッチンに少し販売できるようなスペースが併設されていたので、何度かポップアップみたいなことはやりましたが、それ以外では本当に基本的にイベントとマーケットで生き延びていました。それでもカスタマーベースはじわじわと増え、そのうち日系のスーパーなどにも卸し始め、じわりじわりとファンが増えていってくれた数年間でした。

今の店舗を出したのは2020年の12月から。
計算するとほぼ2年はその状態でコツコツとがんばった感じですね。
もちろん店舗を手に入れるまでにもいろいろありましたし(コロナも!)、店舗を手に入れてからももっともっといろいろありました。
そのお話はまた、別の機会にお話ししたいと思います。




2023年5月10日水曜日

パン屋さんになるまでの話 その2

さて、移民も取れて、仕事も辞めて。
自分でお仕事を始めたい気持ちはずっとあったけど、いかんせん先立つものがないので、いきなり何かを始めるのは無理、ってことでこの時は普通に転職活動。

日系の旅行会社数社と留学エージェントに応募して。

最初にとある留学エージェントにすぐに採用してもらえたんだけど、
多分私が元マネージャーだったので私から情報を抜こうとしたのが目的だったのか、
いろんな業務上の私が経験してきたり得てきた情報を聞き出され、
渡せるような情報だけ渡したところでいきなりクビにされたりしました。
そういうことできる人間性を疑うよね、、もう名前も覚えてないけど当時イエールタウンにオフィスがあったエージェントでした。今も生き延びれてんのかな。。
まぁ相談されたら私はおすすめはしない。私の元職場ももちろん。

旅行会社は2社応募して2社とも採用もらえたんだけど、
某J社は冬になると2か月くらい休職扱いになるポジでちょっと微妙。H社は一般職で応募したけど経歴見て留学部門で働かないかとお誘いいただき、さらに面接後に当時のマネージャーさんに丁寧に個人的にぜひ一緒に働きたいとメールまでいただいたものの、いかんせんお給料が。。
その時同時に応募していたカナダ人企業であるものの日本の企業にも英語学習留学プログラムをたくさん販売していた業界では有名なM社からもオファーをいただき、月給が$1000くらい違ったんですよ💦
H社のマネージャーさんの熱い気持ちと、私もこの人の下で働いてみたいなぁという気持ちもあってものすごく迷ったけど、さすがにお給料の開きが大きすぎてカナダ企業を選択。

まぁ今となっては結果正解だったとは思う。
結局J社もH社も私が就職した会社のお客さんだったので、仕事の上でのちのち顔を合わせることにはなったんですが。はははー
でも結局私がこの会社でしていた仕事内容はほぼマネージャーといってもいい内容で、私と同じポジションの人は私のほかに2人(トロントに本社があるのでそっちにも数人)いたけれどそれぞれがマネージャーといってもいい感じで。プロジェクトベースでお客さんに合わせた短期留学英語学習プログラムという名のプロダクトを一から作る、つまり現地教師を面接して雇い、現場で動き回れる現場監督的な人も探して雇い、学習用の施設をブックし、エクスカージョンなどの訪問先を選び、それもブックし、現地の学校(高校とか)との交流があれば学校ともやり取りして、バスやホテルなどの手配、ホームステイの手配自体は別の課の人がやるけどそのための事前情報の精査(アレルギーとか諸々)、全部をそのプロジェクト担当がやるという、なかなか過酷だしストレスの多い仕事。
圧し掛かる責任がね、、、だってバスの手配とか忘れたら詰む。グループによっては来る生徒の数100人とか超えたりして。
でもその分自分で考えてプロジェクトを作り上げていく側面がすごく楽しくて、私には本当に合っていたし、仕事自体は本当に好きでした。
実際にグループが来る際は総合監督として顔を出したりもするのでBC州とAB州内で普段いかないようなところによく出張で行けたりしたのも楽しかったな。
特にBC州内はそういう意味で思い入れのある土地が増えました。
ケロウナ、ペンティクトン、サーモンアーム、レベルストーク、サンシャインコースト、スコアミッシュ、、、
サーレーとかバーナビー、ラングレーとかは公立校ともよくやり取りしたので、現地校もしょっちゅう訪問していて、校長先生と仲良くなったりしたのもいい思い出。
人間関係も、まぁ色々あったにはあったけどそこまでひどくはなかった。

ただね、、もうこれは業界があかんと思うんだけど、
やっぱりホームステイありきのビジネスには限界があると思う。
家庭なんて100あれば100通りあるわけだから、お金を取って100人を100家庭にプレースするって、どうしたって蓋開けてみたらダメな家庭もあるし、ダメまで行かなくってもものすごくいいご家庭と比べたらやっぱり不満が出てくるし、同じお金だから同じサービスってわけにいかないんよ。
不満につながるよね、それは。いくら当たりはずれがあると(そんな言い方はさすがにしないけど)旅行会社が事前に説明してくれて対策をしていても
ホームステイ関係で全く問題が起きないグループなんて絶対にありえなくて、
グループ滞在中はいつ携帯がなるかといつもヒヤヒヤ。
大人相手のホームステイならまだしも私たちが手配していたのは全部未成年(主に高校生、たまに中学生、まれに小学生)なので、さらにケアが必要だから特に。

夏休みがグループの到着が爆発的に増えるので夏は毎年ストレスで禿げそうになっていたけど、ある夏私が担当したグループが軒並み超癖の強い学校(さらにエージェントも使えない)が重なり、ストレス限界に達して、辞めることを決めた。
本当に仕事は好きだったんだけど、ただ、この仕事してたらいつ呼び出しかかるかわからないから仕事の後の習い事とかもろくにできないし、ということは当然副業なんて始めている余裕はなくて、どうしたもんかなぁと思っていたのもあって。

そんな時にピアノ屋さんを経営している同い年のカナダ人のお友達がいたんだけど、彼に相談したら「ちょうどうちのお店で長年活躍してくれてたアドミンが辞めちゃって困ってるからうちで働く?」とお誘いを受け。彼はユダヤ系で、メンター(ビジネスなどで成功したいと思っている人をアドバイスなどして導いてあげる人)をするのが好きな人だったので、お給料も前の会社と同じだけくれると約束してくれて。

ピアノ屋ってw って正直私も衝撃w
私ピアノのぴの字も知らないんですけど、、、ヤマハくらいしか知らんし😆
当然弾けないし、楽譜も読めんしw まぁ売るわけではないから必要ではないかもしれんけども。。。と。

実際働き始めて私がやってた業務内容は、
まずはぐっちゃぐちゃになってた月額制のピアノレンタルのお客さんの情報の精査、支払いが滞ってるお客さんにコンタクトして、カード情報更新してもらったり、レンタル辞めるなら引き取りの手配したり、それでも払わないお客さんには少額訴訟起こしたり、、(書類作って裁判所行くの。いろんな意味でいい経験したわ😂)

そうこうしてるうちにもう一人いたアドミンが使えんという理由でクビにされたので、(というか最初から彼女が使えないからうちで働いてと言われたんだけどね)通常業務も私に回ってきて。

ピアノ屋ってどういう業務してるか想像つかないよねw
私もピアノ売ってるだけかと思ってたけど、実は色々あって。
ーピアノレンタル(個人向け、月額制)
ーピアノレンタル(撮影や演奏会、イベント用、短期)
ー中古ピアノの輸入販売
ーピアノの引っ越し手配(普通の引っ越し業者ではピアノは扱えないため)
ーピアノ調律師の手配と派遣
ーピアノの一時預かり(個人向け:月額制)
ーピアノの一時預かり(業者向け:火事やなどの災害時に現状回復してる間預かって修理を行う)
ーピアノの修理の受付、派遣(または一時引き取りでの修理)
ーあ、もちろん新品ピアノの販売(それもめっちゃ高いやつ、、、一千万超えとかあったよ。。)

この手の業務、結構アナログでやってたものをできるだけデジタル管理できるようにして行って。中古ピアノは基本的に日本から買っていたので(タケモトピアノw)その上陸時の手配とか昔貿易の仕事してたのがここでちょっと役に立ってw

この時のボスは(つまり私の友人)、本当に私に良くしてくれて、
私がいずれ起業したいという思いを持っていることを知ったうえでいろいろアドバイスしてくれた。何がしたいのか、何が必要になるのか、どういうマインドセットが必要か。
そういうことも踏まえてアカウンティング的な仕事もさせてもらったので、ここで給料計算とか、そういう業務も経験したし、アカウンティングソフトウェアの使い方もある程度学んだ。

今でも忘れないけど、このころに彼に言われたのは、
誰かに雇われて、どんなふうに仕事しても必ず決まったお給料もらえる立場の方が何百倍も楽だし人生楽しめるよ。経営者になる、自分で進路を決めていくことは、聞こえはいいけど本当に、おそらく現在の君では想像もできないくらいのストレスだし、おまけにそれだけ頑張ったって成功する保証もない。軽い気持ちでは踏み込まない方がいいよ。
と真剣な目でアドバイスされた。

今経営者になって思うのは、本当に全く同じこと。
だけど、私は後悔はしていないかな。まだ一応踏みとどまっているから、失敗までは行っていないし。頑張れる余地があるうちはあきらめるつもりもないけど、ただ、本当に、ストレスだけは半端ない。
ある程度のストレス負荷がかかったらネジが外れて「はははーまぁなんとかなるわー」とはじけられるタイプの人じゃないと経営はできないと本気で思う。思いつめる人は簡単に体や心を壊しそうだと思えるレベルの負荷。でも後悔はない。

彼の元で働いて、ある程度仕事を無理なくこなせるようになったころ、自分の副業について真剣に考え始めた。

ずっと自分に何ができるか考えていた。
一番手っ取り早いのは留学エージェントを始めることだった。
最初はホームオフィスにすれば費用も抑えられるし、ホームページとかを作ることもグラフィックデザインとかも自分でやれたので、前職の経験を考えればやれるとおもった。
実は前のM社で働いていた時にすでにその準備は進めていて、ちまちまホームページを作って、なんなら市役所に行ってそのためのビジネスライセンスも取得していた。
でも、忙しさにかられたのもあって中途半端なところで手が止まってしまった。
一度止まってしまったら、その業務に対するやる気がそげてしまった。
なんでなのかな、、あそこまで作りこんだホームページもドメインとかの契約期間が切れてしまってアクセスできなくなってしまっていて、それをまた一からやり直したりする作業に心が折れたのもあるのかな、、
そもそも個人で小さく留学エージェントをやっている人は結構いて、
なんか規模感的にも「入り」としてはいいかもしれないけど、最終的にやりたいことは違うかなという感覚もあった。
お金さえあればレストランをやってみたいという気持ちも結構ずっと私の中にあったけど、当たり前だけどお店がないと成り立たないレストランは初期資金が半端ないのでお金のない私には不可能な選択肢だった。

。。。。今思えばレストラン、というか飲食やりたいとか、ばかだったなぁ、、とかちょっと思うけど。飲食、本当に大変です。今となってはオフィスを立ち上げたい気持ちの方が強くなってきているかも。ないものねだりなんですかねぇ。。まぁリスクが少ない分、そっちの方が勝ち残るのは難しいのでしょうけどね。

そんな時に、私がちょこちょこ自分用とか友達への差し入れ用とかに焼いていたケーキとかお菓子とかパンとかをSNSにあげていて、それを見た友人たちからお金を払うから焼いてくれないかというような要望が届くようになって。
そこまでしてほしい人がいるのであれば、これは商売になるんじゃないかなぁと思ったのが最初のきっかけ。
そこからそれをビジネスにするにはなにが必要なのかを調べ始めて、メニューを考えてダメ元でファーマーズマーケットにもアプリケーションを提出して、フードセーフを取得して。
ただ問題は、ファーマーズマーケット以外の場所で公に販売をする場合保健所の許可の下りているキッチン施設(お店)で商品を用意しなければいけないルールがあり、(BC州の基準は特に厳しくて、商業用のキッチンでなければまず基準は満たせない。つまり自宅キッチンで焼いたものを販売するのはNG)、商用キッチンがなければそもそもビジネスライセンスも取得できないし、ライセンスがなければリライアビリティの保険に加入することもできなかった。(もし食中毒や何か商品に問題があった時にカバーしてもらえる保険)

色々調べてコミサリーキッチンという商用のシェアキッチンの存在を知り、問い合わせをしてみた。まだこの頃は比較的コミサリーキッチンも走り出しの頃だったと思う、、まだ今ほど数も多くなかったし、そこまで一般的でもなかった。フードトラックの人たちがメインで使っていたイメージ。
すでに保健所の許可が下りているある程度の大きさのあるキッチンを、いくつかのビジネスでシェアしながら使うというコンセプトのコミサリーキッチン。
どのくらいの時間と場所を必要とするかで家賃が変わるシステム。
あの当時で、一番短い時間と狭い場所のプランを選んでも月の家賃は1000ドルを超えていて。(多分今だったらもっともっとするでしょうね、、こわ😖)
当時の自分の手取りのお給料から自分の生活費を引いたら結構足が出ちゃうくらいの金額。
しかも商品を用意しようと思えば材料費とか、そうじゃなくても型とか機械とかの設備費も必要になるし、家賃である1000ドル強を純利益で出すためには一体いくら売らなければならないのか、多少の友人が買ってくれる程度の当時の現状でこの契約をするのは相当に勇気が必要だった。
でも契約をしてライセンスを取らないことには公にビジネスの宣伝もできない。

でもさ、誰だって商売初めてそんなすぐにお客さんつかないの、容易に想像できるよね。
我ながらよく飛び込んだなと思うけど、旦那(当時はまだ結婚してないけど)にも苦い顔されながら腹を括って契約書にサインしたのが2017年の12月はじめころ。
この12月の間は多分色々準備してたのがメインで、特に何か有益なことはできていなかったんじゃないかと思うんだけど、月末が近づいてきたころに奇跡が👀

アプライしたこともすっかり忘れていたバンクーバーのファーマーズマーケットから連絡が。アプライしたのはその年の多分2月とかだったので、完全に忘れていて。
今ならわかる予備知識として、バンクーバー市のファーマーズマーケットはとてもしっかりした母体が運営していて、お客さんもものすごくしっかりついているため、他のどの市が行っているファーマーズマーケットよりもベンダーからの人気が高く、ベンダーの入れ替わりが極端に少ない(長い人はもう20年以上もベンダーをしているくらい)ため、特に加入したい人が多いPrepared Foodカテゴリー(ちょっとした調味料とか、甘いものとかの調理済み食品)やベーカリーカテゴリーはよほど商品が魅力的じゃないと入れてもらえない。
私のビジネスも例にもれず、入れてもらうためには魅力不足だったため2月に応募していても連絡一つもらえなかったわけだけど、この時連絡をもらったのはちょっと面白い企画に参加しないか、という内容だった。だんだんだーーーーん。

んにゃーーーー長くなってしまった。
疲れてきたのでその3に続くw




夏の日系イベント☆

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