2022年7月28日木曜日

何故ワーホリを決めたのか?

今回はなぜそもそもワーホリに行こうと思ったのかのお話。

前回までの「何故カナダに決めたのか?」についての記事はこちら。

前回までの話でも触れた様に大学時代に環境に恵まれてそれなりに英語を話せる様になっていたのでまぁ色々紆余曲折はあったんですが仕事はやっぱり英語を使う系に自然となっていきました。
名古屋で小さな小さな貿易商社に勤めて、小さいながらもマレーシアに出張に行かせてもらったりもしたんですが、いかんせん社長がセクハラで問題起こす様なアホのエロジジィで尊敬出来る人間ではなかったので長く勤めるビジョンは見えず、、、😓

かと言って名古屋では他にやりたい仕事も見つからず、というのも愛知には英語系が強い大学が結構あるにも関わらず英語を使える仕事はそんなに多くなくて、完全に買い手市場になってしまっていたんですよね。
英語を使える仕事の方がむしろお給料安い、と言う様な。
名古屋に港はあるものの大手の貿易総合商社は豊田通商くらいしかなくて天下のToyotaのお膝元そんな大手企業に就職できるわけもなく、、
また英語使える仕事って言っても車の部品とか説明書の翻訳とかそう言う系が圧倒的で実際に会話を使えるものはとても限られていて。

こりゃー東京出るしかないな!って事で勢いで東京に引っ越して、まずは派遣で航空機や大型機械などの部品を輸出入している大手企業の貿易事務として働き始めました。英語は確かに日々使っていたけどここでの仕事ではメールのやり取りの方が多かったかな。
あと大企業で働いてみてその安定気質と言うかのんびりさと言うかやる気なさと言うかをどっぷり味わって、私には大きい会社はむかん!と学びました。
仕事の全体像が大きすぎて見えないのも仕事をしていてやる気につながらず嫌でした。
大きな歯車の一部ではイマイチ自分の仕事がどう会社の中で役割を持っているのか実感が持てなくて。

元々IT系にも興味があったので派遣を辞めて就職したのが英語を使うIT系の仕事の派遣会社でした。
今度は逆にスタートアップの小さな会社。
ここから出向したのが新生銀行という銀行のIT系の開発部門。当時モバイルバンキングのアプリをインドのベンダーに投げて開発していて、そのインド人たちとコミュニケーションを取りながらテストを重ねていくという様な仕事でした。
まーーーーインド人の英語キッツかったwマジで何言ってるのか分からなくって苦労しました。

まぁそんな感じで色々な経験をしていったんですけど、でもいつも自分の英語力に納得いっていない自分がいたんですよね。
表面上のコミュニケーションは取れても何とも言えない不満足感がありました。
例えば洋画とか見てもやっぱりジョークの意味とかよくわかんないし、なんだか自分の英語がすごく薄っぺらいモノに感じていて。
言語ってやっぱり文化ありきのもので、文化を分からない限りホントの意味でその言語を理解することはできないと思うんですよね。
英語にはキリスト教の影響を色濃く受けた表現がたくさんありますし、今やみんながみんな敬虔なクリスチャンでは無くても"Oh my god!" "Oh my lord!" "Jesus!" とかは日常的に使われるわけで。

やっぱり海外に実際に住んで、文化をしっかり体験してみないとこの薄っぺらい英語は本物に近づけないよな〜という思いはずっとあって。

かと言ってワーホリや留学に行けるほどの貯蓄はなかったし、そうこうしてるうちに彼氏という足枷も出来てすっかりワーホリに行く機会を逃してしまっていたんですよね。

それが私が29歳の時に全部の枷がすぽーーーーんとなくなって。つまり貯蓄もできて彼とも別れて。
こりゃワーホリ行けって事だな、とさすがに思ってサクッと準備を始めました。

実際にワーホリに来る前にね、東京でネイティブの先生と英会話する機会を何度か持ったんですけど、いくら仕事で使ってたとはいえ仕事だと限られた事しか言わなかったりするので自由会話のスキルが本当に錆び付いていて、もーーーー今でも忘れられないんだけどDifferentなんて言う簡単な単語が会話中にどうしても出てこなくって(Difficultが代わりに出てきちゃってそのせいでいくら考えても余計ダメで😅)むちゃくちゃショックだったんですよね。

こっちにきてから知り合ったもう北米に10年近くいるっていう人と出かけた時にその方の会話力にも愕然としてすごいショックを受けたのを今でも鮮明に覚えてますね、、めっちゃペラペラやん!すげーーって素直に尊敬したんですけど。
まぁその方はアメリカで大学行って就職もした上でUBC(ブリティッシュコロンビア大学)の大学院に入るためにカナダに来た方だったのである意味当たり前と言えば当たり前なんでしょうけれど。

こっちに10年いればペラペラになれるというもんでもなくて、本当に努力しないと英語力は伸びません。何年いてもろくに話せない人も本当にいっぱいいます。
私も努力してきた方だとは思うのでこうやって振り返ると今の私もあの時感動した彼女くらいの会話力は身についたのかなぁと思うと感慨深いですねぇ。

ワーホリで来て、本来は一年だけで帰るはずが働き始めた留学エージェントでマネージャーになって残って欲しいという流れになり、仕事で移民を取ってはや幾年です。人生本当にわかんないもんです。

海外に住んでみるってね、それぐらいのパワーやインパクトがあるものだと思います。
本当に人生観が変わっちゃうくらい。
もちろん予定通り日本に帰る人も多いでしょうけどその経験は一生の宝物になると思うし、広がった視野は生きる選択肢も広げてくれると思います。
井の中の蛙で、日本しか知らないで生きていくのは人生本当に損してますよ!

ワーホリもカナダは30歳までしか挑戦できないのでぜひ若いうちに挑戦してみて欲しいなぁと思います😊


2022年7月24日日曜日

何故カナダへ?#2

この記事は何故カナダへ?#1 の続きです。

タイ留学の何が良かったって1か月の短期とはいえ、
23人の大所帯で一緒に留学に向けて団結して助け合って準備したり、
実際のタイ滞在中は共同生活をしたりという
ある意味での異常さ、非日常さが
私の大学生活を変える大きな起爆剤になりました。

一番影響が大きかったのは、この留学をきっかけに
大学内で交換留学生と積極的に交流をしていた数人と
仲良くなったこと。
それに引っ張られる形で私も留学生たちと頻繁に交流するようになり、
留学生用の寮に遊びに行くうちに入り浸るようになり、
最終的には大学の4回生になるときに
留学生用の寮にチューターとして住みこむところまで行きました。
(年間で面接で選ばれた日本人学生4名だけが光熱費のみで
留学生の世話係として住みこめる制度があったんです。)

この生活がとにかく楽しかった!
日本にいながら海外の学生寮プチ体験みたいなもんです。
夜な夜なロビーでみんなで集まってゲームしたり映画見たり、
時には日本と北米のエッチなビデオみんなで見くらべて爆笑したり😂
みんなで何度もカラオケやスーパー銭湯に行ったりもしました。

日常的に留学生と英語でコミュニケーションをとっていたので、
この留学生寮に入り浸っていた2年間で私の英会話力は飛躍的に伸びました。

基本的に交換留学生は中長期の留学とはいえ、
半年か一年で自分の大学に戻る人が殆どだったので、
本当にいろんな国からきたたくさんの留学生と交流をしたけど
その中でも英語ネイティブの国からの留学生の中では
カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人の印象がとてもよかったんですよね。
(うちの大学は中国語学科もあったので、英語以外の言語の交換留学生もいました。)
アメリカの子たちはもちろん全員じゃないけど時々自分勝手やなーと思う事が
ちょこちょこあったんですが、
先述の3国の子たちは何というか気をよく使ってくれて親切で
日本人と近いものを感じました。
特にカナダの子たちの印象がとっても良かったんですよね。

その中でも特に仲良くなって、日本のお正月を体験させてあげようと
正月休みに一緒にうちの実家に帰ってしばらく滞在した子がいるんですが、
その子の出身がカナダはブリティッシュコロンビア州の、ケロウナだったんですね。
ご想像の通り、のちに自分がワーホリをしようと決めたときに
バンクーバーを選んだ理由が彼女でした。

ただ、結局最終的に私がワーホリをすることを決めたのは
私が30歳になる年だったので(いわゆるギリホリ)
その頃にはケロウナの彼女ともそこまで連絡を取り合っていたわけではなかったんですが、
(フェイスブックでつながっていた程度)
それでも私の中でカナダの子みんないい子だったから
きっとカナダいい国なんだろうなーと漠然と思っていたし、
なまりが嫌なのでオーストラリアとニュージーランドはあまり候補には
考えていませんでした。

実はもう一つ理由があって、
私は自分である程度の英語の基盤はあると自負していたし、
ある程度の社会人経験も経たうえでの渡航だったので
せっかくこの歳でワーホリに行くならしっかりした体験をしないといけない、
具体的にはちゃんとアカデミックなことを学んで、
仕事も中途半端に妥協しないで絶対バイトではなくオフィスでの仕事を勝ち取るぞと
思っていたんですが、
私の中でオーストラリアワーホリのイメージがあんまりよくなかったんですよね。
どーも周りで行った人の話とか体験談とか見ていると
たまたまかもしれないけど遊びに行きたいだけの人が多いイメージで
(まぁもちろんワーキング”ホリディ”なのでそれはそれで正解なのかもしれないけど)
英語全くできずに行って、向こうで遊びまくって、
結局英語できないまま帰ってきていたりとか。
エージェントとかに聞いてもカナダのアカデミックレベルは高いと言っていたし、
そこをとっても私的にはカナダ一択でした。

最後までトロントにするかバンクーバーにするか悩んだけど、
本当にどちらもよくて決め手もなく、、で、最終的に
なんとなくケロウナが近いバンクーバーに決めました。
結果的に正解だったのか、、は永遠の謎ですがw
でも住めば都といいますし、ここに根付いてビジネス始めたくらいなので、
正解だったのかもしれませんね😌

ギリホリでとことこやってきたバンクーバー、
この流れでお次はなぜワーホリに来ることを決めたのかを
お話ししたいと思います。


2022年7月20日水曜日

何故カナダへ?#1

こんにちは!

さて、前回に引き続き私の経歴についてのお話。
どう言う経緯でカナダへやってきたのか。
それを語るには遡ることン十年。。😑
私が大学生だった頃から始まります。
私を形作ってきた歴史の話になるので、少々長くなります😓
お時間があるときにお楽しみくださいw

私の出身は愛知県。
某私立キリスト教系の総合大学の外国語学部英米語学科へ進学しました。
昔から耳が良くて、聞いた音をそのまま真似して発音するのが得意だったので、
中学生の時からスピーチコンテストに推薦してもらえたりしていて、
英語と言う教科の成績は実は全然駄目だったんですが、
英語を話す(というか読む?発音する?)のは好きだった私。
成績がダメでも英語が話せるようになりたいという気持ちだけで
英語系への進学を決めました。

英語の成績が全然ダメだったのも
実は中学の最初のころ、何故かの理由はいまいち覚えてないんですが
英語の授業の習い始めの授業を何度か受けそびれて、
「3人称単数」とか、そういう特殊な単語の説明を受けられなかったせいで
ちんぷんかんぷんな単語が飛び交う英語の授業についていけず、
挙句テスト前の自習時間に先生が質問があったら聞きに来いというので
「3人称単数ってなんですか?」って聞きに行ったら
「テスト範囲のことについて質問しなさい」と怒られ、
それ以来聞くこともできず大学に行くまでその苦手意識を引きずっていました。。
今の時代なら自分でググるんでしょうけどね、、、
結構この中学の時の先生、今でも恨んでます😠

そんなことがあってか、英語の文法に関してはてんで出来なかったんですが、
それでも「なんとなくこれがあってる気がする」という感覚で
結構何とかなってしまっていたので、英語を嫌いにならずに済んでいました。

文学には大して興味がなかったのと、
「英語」という言語への興味が強かったので、
文学部ではなく言語学部を選びました。

最初の1,2年は大学ってなんてつまらないところなんだと思って過ごしました。
周りの友人もみんなとりあえず単位され取れればいいと適当に授業を受けて、
授業中もできるだけ幽霊のように存在感を消し、
選ぶ授業もできるだけ楽に単位が取れるものを選び、
授業が終わればバイトに走ってお金を稼ぐ日々。

こんな環境にこんなに学費を払うなら、最初から海外留学を短い期間だけでも
すればよかったと。
そんな後悔の気持ちが浮き上がってきたころ、
友人から大学主催で行われているタイへの私費交換留学の話を聞きました。

大学主催の交換留学は公式の交換留学(=成績優秀で選ばれた子がいける、公式の交換留学で費用は安め。単位交換あり。)と私費留学(=全部実費で行く留学。基本的には学校が主催旅行会社を紹介してくれるだけ。期間によるが単位交換も確かなし。)があるのは知っていたけど、かなりの金額の私学の学費をすでに出してもらっている時点でとても留学費用なんてお願いできる立場にない私はあきらめていたのだけど。

タイへの短期留学は春休み中の1か月と短い期間なうえに費用も比較的安めだったのと、
タイへ行ったとしてもコミュニケーションには英語を使うわけだし、
タイの大学で学ぶ期間(3週間)は毎日英語とタイ語を学べ、
しかもタイの大学の生徒が一人に対して一人チューターとしてついてくれるという話だった。
前年度に参加した先輩の話で、タイの学生さんは非常に優秀で
みんな英語もぺらっぺらで、いろいろ連れまわしてくれて本当にいい経験ができたといっていて。
すっかり参加したくなってしまった私は両親を説得し、
成人式にまわすはずだった費用をこの留学に使わせてもらえないか相談しました。
今思い返しても行かせてもらえたことを本当にありがたいと思うけど、
結果的にこのタイ留学が私の人生を変えました。

長くなるので#2へ続く。。。




お初です!

 記念すべき最初の投稿ですね。。


みなさま初めまして。
まずは自己紹介などさせていただくとしましょうか。

Maddenけいこと申します。
カナダはバンクーバーにて、
日本スタイルのベーカリーKanadell Japanese Bakeryの経営と運営をしております。

バンクーバーの説明はさほど必要ないのかな。。。?というくらいには
昨今結構テレビなどでも取り上げられていますね。
バンクーバーはカナダの中でも西海岸に位置し、
冬は極寒のイメージのあるカナダの中でも最も暖かく、
実は雪はほとんど降りません。降っても年に数回くらい、、、?

夏は日が長く夜10時近くまで外が明るく、
夏の暑さも基本的にはそこまで厳しくなく
(基本的には、、ここ数年少し変わってきていますが😓)
日差しや紫外線は強いですが湿度はそこまで高くないため
日陰に避難すれば風は涼しかったり、太陽が隠れれば暑さは収まりますので
過ごしやすいです。

逆に冬は日が極端に短くなるので、
暗くなるのが早く、若干損をした気分になります😓😓
雪が降らない分、雨が降りがちなので、開放的な夏とは正反対に
少し鬱々としがちな季節です。レインクーバーなんて揶揄されたりするんですが。
でも実は年間降水量は日本のほうが遥かに多くて、
バンクーバーで降る雨はいわゆるシャワーと呼ばれるパラパラ降る程度の
雨が多く、現地の人は傘をさしていない人が殆どなほど。
慣れれば冬の雨もそこまで鬱陶しいものではないんですが、
暗くなるのが早いのは悲しいですなぁ。。
   会社員してた頃5時にオフィス出たら天気悪い日なんてもう真っ暗よ。。

バンクーバーのいいところや悪いところ、住みやすさとか所感は
長くなるのでまた別の機会に小出しにするとして😗  小出しにするんかい、、w
とりあえず今日はまず私のお店の紹介をしちゃいます。

バンクーバーの中でもバンクーバー市の東側、
もう少しで隣接するバーナビー市に足を突っ込む端っこのエリアに
私のお店、かなでるはあります。 こんな夜に撮った写真しかないとか。。w



















実は昨年(2021年)の夏にカナダのテレビ局、
フードネットワークの「Project Bakeover」という番組で撮影していただき、
お店の内装と外装をいじっていただいたので、
こんなカラフルな仕様になっております。。

この番組は何というか、ある意味ビフォーアフターみたいな番組で、
経営に苦労しているベーカリーを番組が訪問し、
プロのペイストリーシェフとプロのデザイナーがお店を刷新、
テコ入れをして成功に導く、、、というよくあるストーリー。
まぁやらせな部分も結構あるにはあるんですが、
うちのお店も実際苦労していないわけではなく、、 これもまた別の機会に詳細を。。
プロのデザイナーの方に番組でデザインしていただけたのは良かったです。
撮影もいい経験でしたしね~。結構楽しかったですよ。

公式のトレーラーをとりあえず貼っときますw

お店では日本のパン屋さんではおなじみの面々、
カレーパン、メロンパン、コロネ、ソーセージパン、コロッケパン、
あんパン、食パン、生食パン、どら焼き、チーズケーキ、イチゴショート
などなどなどなど、、、取り揃えております💕

バンクーバーへお越しの際にはぜひお立ち寄りくださいませ~。

このブログは今後、
これからカナダ来たいと思っている方にも、
今すでにカナダにいらっしゃる方にも役に立てるような情報を
お渡ししていけるようなブログにしたいと考えています。
ランダムな私の日常もちらほら出てくるとは思いますが
お付き合いいただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。ペコリー



夏の日系イベント☆

6月は相変わらずバッタバタで気が付いたらもう7月も半ば。。。。! 先月のJapan Marketに参加してすぐに下の記事をドラフトで書いていたのにこんなに間が空いてしまった💦  気を取り直して投稿しますw 6月11日と12日の週末にダウンタウンで行われた日本の食べ物とクラフトの...