2023年2月9日木曜日

パン屋さんになるまでの話 その1

​こんにちは!


今回は私がパン屋になるまでの話。

事細かに書くと恐らくとんでもなく長くなるのでできるだけかいつまんで行きますw


えーと、まず初めに断っておきますと、
私はパン屋さんになるのが子供の頃からの夢だったとか
パンを焼くのが何よりも大好きで好きが高じてこだわりのパン屋さんを出したとか
そういう感じじゃ無いんですね😅
ただ昔から器用でものづくり全般大好きで手を出した手芸やホビーの類は数知れず。。
両親共働きだったので料理は小学校低学年の頃からなんとなく始めていたし
お菓子やパンを焼き始めたのは小学4年生の頃。

その他にも編み物、縫い物、シルバー加工、ビーズアクセサリー、日曜大工、ポリマークレイ、キリング、キルト、ペーパークラフトなどなど、面白そうと思ったものはなんでも挑戦して結構どれも器用にうまくやれてしまうような人でした。

今思えば両親とも結構器用な人だったので良いものを引き継がせてもらったのか
とにかくクリエイティブな活動が大好きな「生み出す」タイプの人間だと自負しています。

食いしん坊なので、特にお菓子作りは大好きで、小中学生の頃は本当にしょっちゅう家でお菓子を焼いていました。
きれい好きの母は、私がお菓子を焼いてキッチンを汚すのを嫌がってよく怒っていましたが、
父が本当に優しい人で私が欲しいと言うケーキの型や道具などすぐに買い与えてくれて
私がお菓子を焼くのをいつも手伝ってくれていました。
その父は昨年亡くなってしまったのですが、本当に今の私があるのは父のバックアップのおかげだなぁと思います。
(あかん、、この話をするとまだ涙が、、😢)

私はなぜだか若い頃から独立心が強くて、
大学に入ったら絶対一人暮らしするって決めていたし、
いつかは自分で会社を起こして、自分の人生は自分でコントロールしたいと言う気持ちがずっとありました。

高校2年生の時に、家族で行ったグアムで、
当時の私なりに現地で店員さんと一生懸命コミニケーションしようと頑張ったんですが、
なんとなーく言っている事はわかる気がしたけれど、
ちゃんとコミニケーションできなかったことが多分心のどこかでずっと引っかかっていて、
今思えば、おそらくその経験も手伝って英語を話せるようになりたいなぁと言う気持ちが膨らみ大学は英語系に進みました。
(大学でまんまと英語をある程度話せるようになった話は過去記事を参照)

卒業後は出身大学が名前でとってもらえるような良い大学ではなかった(誤解のないように付け足すと私は本当にいい大学だったと思っていますが)ので、どうしても履歴書だけで判断される集団就職を魅力的に感じることができず、派遣で営業の仕事をしたり、営業事務、貿易事務、IT系の通訳業務など、いろいろな仕事について経験を培いました。

その間、自分でECサイトを立ち上げて、
アメリカから個人輸入したアメリカンアパレルを販売したり、
個人事業主の真似事のようなことをやっていました。

が、日本ではそんなことやってる人はもう捨てるほどいて、
若輩者の私が少ない資金をもとに、ちまちま運営したところで、
従業員を雇って大規模でやっている他のECサイトに勝てるわけもなく、
良い経験にはなりましたが、会社設立には到底つながりませんでした。

ワーホリでこっちに来てからは、兼ねてからの思惑通りオフィスでの仕事を得るも以前ちらっと書いた通りとっても真っ黒な日本人の皮をかぶった中国人経営の留学エージェントで働き尽くし、まぁでもね、労働環境は過酷でしたけど、いい経験はできたし、何より移民を取ることもできた。
その間に今の旦那とも付き合い始めて、私のカナダでの生活の基盤ができました。

私が移民を申請していた当時、移民局がストをしてまして、
私はBCPNPのエクスプレスエントリーで、マネージャー職でアプライしていたので、
本来なら、本来なら!大事なことなので2回言いました。
半年とかで移民とれるはずが、まぁ見事に2年くらいかかってしまい、
きつい労働環境で誇張なしに、本当に悔し涙を何度も流しながら耐えました。

本当はね、移民取れてからも義理はあるのである程度は働こうと思ってたんですが、
取れて比較的すぐに「もうこれは我慢ならん!!」という事件がありまして
流石に社長にたてついてしまったんですが、そしたら社長も怒って辞めていいという方向になりました。もちろん、移民にかかった弁護士費用は払わされましたがね。。

日本人がお客さんだったので、当然日本の企業とのやり取りになるお仕事内容だったんですが、社長は日本育ちの中国人(女性)で日本語はかなり流暢に話せるのでお客さんにも偽名を使って日本人で通していて、でもやっぱり中身は中国人なので、なんていうのかな、根底にある常識みたいな部分で全然合わなくって、私が日本の企業さん相手に「お宅の社長(頭)大丈夫?」って言われるくらいの不祥事もありました。。日本まで出向いて相手の企業訪問して、ひたすら謝る私と更にたてつこうとする社長、頭禿げるかとマジで思った。。。今思い出しても胸が痛いわ💦
人間としては悪い人だとは思わないし、よくしてもらった部分もいっぱいあるけど、典型的な経営者やっちゃいけないタイプの人だったかな。。プライドだけ異常に高くて、でも人をうまく使える人徳にかけちゃっていた。愛情不足で育った背景もあったから、仕方ないのかもしれないけど、あそこで働いていた人は不幸だったと思うわ。
いい経験にはなった。いろーーーーんな意味で。うん。


我ながら色々やってきたなぁ。。

ただ一つ言えるのは何一つ無駄にはなってない。いろんな経験が今私が経営者をするうえで全部役に立っていると感じてる。

結局長くなっちゃったのでその2へ続く。。。





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